壺中有天。
現実の世俗的生活の中に自らが創っている別天地。自分だけの時間と世界をもてる幸せを大切にしたいものです。。
安岡先生によると「壺中有天」の出典は後漢書。「費長房が役所の二階から何気なく町中の老商人を眺めていた。仕事を終えた老商人があたりを見回し、ポンと壺に入り込んでしまった。不思議に思った彼が翌日、老商人を問い詰めた。『見られたか。じゃ仕方がない。ついておいで』と大きな壷の中に誘った。壷の中は彼が見たこともない別天地だった。」という故事によるとか。
意味するところは、老商人の壺中有天は、彼の現実の生活、その人生の中に開けている楽しみであって、費長房のものでないということに留意すべきであると。(壺中庵主)
(以下は降順に表示)
2010/02/04
1 蓮咲きそろう善祥寺
白雉二年(651)法道仙人の開山と伝わる。以来、一山諸堂塔が甍を並べ壮麗を誇ったと伝えられる。天正年間、三木合戦の兵火に逢い、その後、再興され、その後幾多の再建修理を経て現在に至る。本堂、鐘楼などは江戸末期と思われる。
江戸末期までは天台系の伽耶院に属する寺院であったが、後、真言宗御室派となった。
現住職、各務寿晃師の肝煎りで「白蓮華園」をはじめ境内いたる所で数十種類の蓮花が咲き競う盛期は圧巻である。
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善祥寺白連 |
二の丸蓮 |
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善祥寺白蓮 |
大白蓮 |
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碧台蓮 |
黒谷白蓮 |
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西福寺白蓮 |
艶陽天紅蓮 |
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大賀蓮 |
西安紅蓮 |
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紹興紅蓮 |
紅重台蓮 |
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明妃蓮 |
毎葉紅蓮 |
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紅舞伎蓮 |
大酒錦蓮 |
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原始蓮 |
則非蓮 |
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秋水長天蓮 |
巨椋曙蓮 |
◎以上の蓮華写真は住職各務寿晃師の撮影による
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2 善祥寺密教院の仏さま
善祥寺本堂(地蔵菩薩) |
地蔵菩薩坐像 |
護摩堂(不動明王) |
不動明王像 |
密教院庫裡(大日如来) |
大日如来像 |
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3 鎮守社(県重要文化財)
鎮守社 |
鎮守社(下から見上げる) |
善祥寺境内の鎮守社は、寺内で最も古いもので、一間社、春日造、向拝付、屋根は茅葺き。兵庫県の重要文化財に指定されている。
向拝部分の中央にある龍の彫り込まれた蟇股は、一見桃山風である。
龍の彫り込まれた蟇股
向拝の柱左右の菊の彫刻のある手挟の様式や獅子鼻と上の斗の組み合わせ(獅子鼻はやや小振り、上の斗はやや大振り)など、或いは他の建築のものを江戸末期に組み合わせたものではないかと思われる。
菊の彫刻のある手挟 |
獅子鼻と斗 |
母屋には古い様式がよく残っており、室町中期までさかのぼり得るものと言われている。斗?は出組、拳鼻の頭貫する木鼻ともによく古式を示している。支輪は蛇腹、支輪裏板共に一木彫成である。
正面外部は三枚の格子戸、奥は三間に分け、それぞれ両開き板扉となっている。これらはいずれも重要文化財指定に値する要点である。
母屋の木組み |
蛇腹支輪、地垂木と飛檐垂木 |
斗?と拳鼻、頭貫の木鼻 |
逆蓮柱(右上)と擬宝珠柱(左下) |
垂木や地軒は造り替えたもののようであり、高欄も逆蓮柱と擬宝珠柱とが混ざっている。これは、かって向拝部分にかなり大きな破損があり、江戸末期に補修したものと考えられる。
この鎮守社は、天正年間の戦火を潜りぬけた貴重な文化遺産の一つである。
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4 善祥寺のこと
「人は生まれ、生き、死んでゆく。」
人が生きる世の中には確実なものは何ひとつない。唯一つ、確実なものは自分の死のみである。生きていくうちには何が起きるか分からない。だから、自分が生きる意味があり、生きる面白さがあるのではないだろうか。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一たび生を得て滅せぬ者のあるべきか---」。これは敦盛の舞の一節で織田信長が今川義元との桶狭間の戦いに臨んで繰り返し舞ったといわれている。唯一度きりの人生を、その時その時を精一杯に生きようという強い思いが伝わってくる。
こんなに能動的に生きることを自覚しなくても、折節立ち止まっときに、「うん、これが人生だ」と生きる思いを新しくすることがあるのではないだろうか。
善祥寺の「白蓮華園」には何十種類もの蓮が見事な花をつける。また、境内いたる所に壺に根を張る見事な蓮花を見ることができる。いつみても、それぞれが精一杯に花開く姿に感動を覚える。
しかし、その裏に各務住職の厚い思いと流された汗が見え隠れする。そして、照る日、曇る日、雨や風雪、大自然の恩恵にも思い到るのである。「あぁ、生かされているのだなぁ」と。
私たちにとって寺とは何だろう。宗教とは何だろう。
一人ひとりの答えは違うだろう。
しかし、私たちが生きる意味を考え、生きる意味を理解し、精一杯生きるための活力の根源に訴えかけ、自分は「生かされているのだ」と悟り、安心して生きていける気持ちを持たせてくれるところであってほしいと願う心は似ているのではなかろうか。(壺中庵主)
善祥寺密教院
〒673-0752 兵庫県三木市口吉川町善祥寺27-1
電話 0794-88-0636
アクセス
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蛇足:鎮守社の形式「春日造」について
神社建築の本殿の形式は、古代から奈良時代にかけて直線式の簡素な建物が主流です。
天地神明造や大社造が代表的な様式です。
やがて、飛鳥奈良時代にいたって仏教建築が流行し、平安時代に入り真言・天台宗が興りますとその影響を受けて神社にも寺院建築の風を取り入れ、一方では宮殿風の造りも加わって、曲線的形式が加わり種々な新様式が生まれました。特に、「流れ造」は簡素なうちに典雅な気分をよく表現しているので鎌倉時代にも盛んに用いられました。善祥寺の鎮守社は
「春日造」です。
室町時代以降は群雄割拠の時代であり、建築も各地方で思い思いに発達し、いろいろな形式が現れます。中でも桃山時代から起こった「権現造」は東照宮の建築で有名になり、江戸時代に非常な発展を見せました。
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壺中庵主:E-mail kutiyokawa@iris.eonet.ne.jp
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